【雑記】サラリーマンの体験記「倒産→転職→うつ病」心の病を舐めていました

13年目の倒産からうつ病発症まで

これは僕の体験談になります。

 12年勤めた会社が突然の倒産

僕は今年で41歳の会社員です。初めて就職したのは22歳の時で、その会社に12年勤め役職もそれなりについて働き盛りの34歳の時に会社が倒産しました。その頃には結婚し子どもも1人いて、さらにお腹にももう1人いる状態で突然無職になってしまいました。約10年以上ぶりの就職活動は何から始めて良いものかもわからず困ったのを今でも覚えています。

今でこそ転職サイトは当たり前にいくらでも存在し、スマホで必要事項を書いて応募すれば完了ですが、当時の僕はそれすらもわからず試行錯誤しました。だって初就職のときは、web応募なんてものはなく、求人雑誌で探して手書きで履歴書を書いて送ってましたから。ただ、応募条件には25歳まで、27歳まで、30歳までというある程度の壁は設けられている印象もありますし、30歳以上での求人となると一気に範囲は狭まりました。

雇う側の考えは後ほど書こうと思いますが、とにかく12年というキャリアもあり、それなりの役職にもついていたので、再就職先は比較的すぐに見つかったのは運が良かったです。しかも再就職先は誰もが1度は行ったことのあるであろう有名な企業に。

 再就職先はまさかの超大手企業

誰に言っても羨ましがられる企業で、正直間違いなく人生のステップアップになったと確信。給料もそこそこ良かったし、繁忙期以外はほぼ定時上がり。出産を控えた妻も安心してくれたようで、僕も大黒柱としてより仕事に身が入る思いでした。

7割が女性の会社で、出社初日、緊張しながらも新たなスタートを切りました。まず行った業務は引き継ぎで、どうやら退職される方がいて、その方業務を丸々僕にスライドするようで、しかもその日以降はその方はもう出社されないとかで、必死に覚えたのを覚えています。その時に、その方から「私のようにならないといいけど」と言われたのですが、意味がわからずスルーしてました。



同じ部署に同年代の男性が1人いて、その方とはすぐに仲良くなりました。お昼は大抵一緒に出て会社の事をよく話していましたね。その人の情報によると、この部署の退職率はものすごく高く、在職者で1番長い人で1年半ということでした。出社初日に僕に引き継ぎをした方は2週間目で退職したとか。とんでもない会社に来てしまったのか?とやや不安が生まれました。

自分で言うのもなんですがコミニュケーション能力は高いので、すぐに周りの人間と打ち解けられました。仕事も忙しいながらもやりがいを感じていて、休日にショッピングモールに行くと、自分でやった仕事がそのまま反映されているのがわかり妻子にも「自分がやった仕事だよ」なんて言って自慢したり(笑)。

しかし仕事や周りの人間に慣れてくると嫌な部分も段々と見えてきます。それは全くの他人が集まる場所ですから合う合わないはどの会社でも一緒。程よい距離感を保ちながら、時には我慢も必要になってきます。その考え方は今も一緒ですが、その時には我慢をしすぎてしまったんですね。

僕の直属の上司は、とんでもない大物の婿養子で、身につけているのは高価なものばかり。頭も切れて、まさに出来る人間です。会社での発言力も高く、その人の意見は大抵通ってしまうほど。もう1人は違う部署ですが、一緒に仕事をする機会が多い部署のトップで60歳近い女性。かなり好き嫌いが激しい方で、自分の気に入った人にはとことん甘く、敵とみなせば昭和感丸出しで攻撃してくるタイプです。さらに2人の上には40代のぶっ飛んだ男性が君臨し、ほぼこの3人が会社を牛耳っていたんです。

 着信音が鳴るたびに動機が激しく

普段、下請けの人間には怒鳴り散らしている営業部もこの3人には何も言えず、常にお伺いを立てています。しかし、営業部もただ従っているだけでは仕事にならないので、意見がある時は僕を介し伝えるようになりました。僕も段々と3人の特性もわかり始めていたので、機嫌の良さげなタイミングを見計らって伝えるようにしていました。しかし、案件が多くなってくると、そのタイミングを待つことが出来なくなり、そのうち「空気が読めない」だとか「役に立たない」などと言われるようになっていきました。

それでも営業部にしては唯一の突破口である僕に毎日のように伝えてきます。出社し始業までに伝えるべきことをリストで渡され、終業してもずっとメールが送られてきました。休日でもお構いなしに連絡はほぼ毎日にようにきており、すでにスマホが鳴るだけで動機が激しくなってしまっていたのです。

すでにその頃になるとおばちゃん上司には嫌われていて、喫煙所でタバコを吸っていれば「休憩出来る身分なんだ」と言われ、終業時間に重めの仕事を渡され徹夜で作業する日が多くなってました。人間は寝ないと判断力や注意力が低くなってくるとうのは本当で、仕事でのミスが目立つようになり、その度に怒鳴られる日々。それでも出産を控えている妻に余計な心配をかけてはいけないと何も言わず過ごしていました。

愚痴をこぼせたのは会社の同年代の男性だけでしたが、実はその男性もすでに結構やられていて、お互いの傷を舐め合うような感じ。そして数日後、突然その男性が音信不通になり、その後出社することはなくなったのです。数年後に彼と会うことになって、当時のことを聞いたのですが、普通に出社しようとホームで電車を待っていたら、足が全然動かなくなってしまって、しばらく乗れなかったと。そしてそのまま出社することをやめたそうです。結構、病んでるとこういった現象があるらしいです。

 体重が1ヶ月で-15キロ

愚痴をこぼす相手がいなくなり、ますます溜め込むようになってしまったものの、出産まではと何とか踏ん張っていました。しかし、食欲はなく食べてもすぐに吐いてしまうようになってしまい、さらに眠れない日々が続き、見る見る体重が落ちていったのです。さすがに周りも異変に気づき気にかけてくれていたものの、「自分は大丈夫だと」自己暗示をかけ続けたのです。気づけば1ヶ月で-15キロ減ってしまい、常に手は震え汗もひどく、物忘れは激しくなり、挙句には家族にキツく当たるようになっていました。

日曜日のサザエさんを見ると落ち込むようになっていたある日、妻から「病院に行って欲しい」と。それまでそういった病院に行くのは自分のプライドが許さず、ましては精神的に病んでいると認めたくなかったのですが、さすがに自分の状況を客観的に見るとおかしいし、すでにものすごく心配をかけてしまっているので、覚悟を決めて病院へ行くことを決意しました。

 うつ病+が発覚

うすうすというか、確実にそうなんだろうなと思っていましたが診断結果は「うつ病」で、他にも色々と出てきました。

・うつ病
・不安障害
・睡眠障害
・脅迫障害
・摂食障害

本当にびっくりするぐらいの量の薬を渡され、その日から毎日飲むことになるのですが、それが2年も続くとはその時は思っていなかったのです

VOL.2に続く

 あとがき

あとがき

「心の病」を舐めていた結果、こうなってしまったと言いたいがために、長くなってしまいました。ズラズラと現在まで書こうと思った思ったのですが、思いの外文字量が多くなってしまい分けることにしました。僕と同じように、変なプライドが邪魔して自分の症状を認めたくないという人も少なからずいると思います。本当にいますぐそのプライドは捨てて、病院に行くべきだと自信を持って言えます。実は今でもあの頃の後遺症みたいなのがあり、「なんでもっと早く病院に行ってなかった、なんでもっと早く会社を辞めてなかったんだろう」と思うのです。まあ、それはVOL.2で詳しく書いていこうかな